壊す家、残す家
7年前、松本市里山辺にある民家を二棟改修工事しました。その建物は隣どうしで、一棟は築40数年、もう一棟は築120年を越える古民家でした。
建築の仕事をはじめた頃、改築工事の打合をすると、「建物一部屋だけ残してもらえませんか?」という依頼がありました。当時、私は「せっかく建替えるのだから中途半端に残すより新しくしたほうが、きれいで使い勝手もいいのに」と思っていました。
それが里山辺の改修工事で、考え方が変りました。
築40年の建物は、大屋根の和風住宅。キッチン、風呂などの水廻りは古く、断熱材はほとんど入っていない状態。しかも基礎コンクリートは無筋、筋かいもなく今の建築基準法の耐震性能を満たしていません。
工事は骨組みだけを残して、基礎補強、筋かい施工、床、壁、天井に断熱材を充填しました。
建築中は離れに住んでいた、施主様と密に打合せができました。建物を取り壊していると、「この廃材はオヤジが勤めていた工場から、リヤカーに積んで一緒に運んできたものだ」と、ふっと思い出して懐かしい表情になりました。
育った家には思い出がいっぱい詰まっている。前の家にその痕跡を少しでも残せたらという気持があります。
築120年の古民家では、建物を見て直ぐ「これは残さなければいけない」と感じました。真夏でも涼しい土間、年期のはいった太い柱や梁…。懐かしさと安心感。
古民家は戦後の住宅とは異なり、建物の骨格となる構造躯体がごつくて頑丈です。戦中時、近くに焼夷弾が落ちて建物は揺れましたが、ほとんど影響はなかったそうです。そういえば、改修工事中に中部地震が発生した時も、その場にいた大工さんは大きな地震があったと気がつきませんでした。
古民家には住んでいた人たちの思いが沁み込み、長い歴史があります。
先日、合掌造りで知られる世界遺産、「越中五箇山・相倉合掌造り集落」を訪ねてきました。車で東海北陸自動車道の五箇山ICから約20分。山深い道を走ると、こんなところに集落があるのか不安になります。途中、急勾配の坂道を上ると緑の中に家屋が点在する相倉集落が見えてきます。
この集落は閉鎖的な環境のなかで特殊な生活様式が生まれたそうです。合掌造の建物は屋根勾配60度、正三角形の切妻。釘や鎹を使わず、丸太を荒縄やネソという植物で結わえた特殊な建築工法です。
里山の自然に調和していて美しい。日本文化として後世に残していかなければならない。
この集落には23棟の集落が現存していますが、そこでは田畑を耕し、食事処や民宿などで生活を営んでいる。そんなところに魅力を感じます。
↑世界遺産・相倉合掌造り集落
↑屋根は60度の急勾配。外部建具の窓は障子貼り
↑小屋組は丸太を荒縄で結わえた特殊工法