地球に寄りそうサスティナブル住宅

スクラップ&ビルドをくり返す現代住宅はもう卒業。バレナは次世代に引き継ぐ本物の家造りを提案します。

くうきを創る第三のエアコン

真夏の古民家は外気が30度を超えても、玄関に入るとヒンヤリしていて気持ちがいい。肌に直にあたるエアコンと違って、不快感がありません。

 

こんな住宅はどうしたら創れるのだろう? 試行錯誤しながら日々取り組んでいます。

 

ふつうなら、「古民家をそのままコピーすればいい」いうことになりますが、木造の骨組みは今の建築基準法には適合せず、断熱を兼ねる土壁は手間がかかりコストアップになるため、現在の住宅で再現するのは難しくなっています。

 

それに夏は快適ですが、冬は隙間風から冷気が入り込み、廊下や浴室などでヒートショックを起こし健康被害も懸念されます。

 

バレナでは「夏は古民家のような気持ちがいい空気感」、「冬は寒冷地でも家全体が暖かい快適さ」、という両者を兼ね備えた家づくりを目指しています。

 

より良い断熱材や仕上げ材、換気や空調設備などを検討しながら、住まい手に居心地のいい空間を考えてきました。また部屋の配置や水廻りの動線、デザイン性にもこだわっています。

 

弊社が常に意識しているのは、住まい手にとっての居心地の良さ。温度や湿度調整はもちろんですが、家族が自然と集まってくる、お客さんが「何か長居してしまう」というような人の気配や雰囲気まで考え、その「くうき」を創ること。

 

先日、ある音響機器を体験するために、東京・新富町にあるエムズシステムのショールームに行ってきました。販売しているのは、幅40㎝ほどの円筒形のスピーカー。木と紙という自然素材をベースにした最先端の波動エネルギー技術で製作しています。

 

従来のスピーカーは一方向のみに音源を放し、スピーカーの裏からは音が流れてきません。それにくらべて波動スピーカーは無志向性で、部屋全体に音が拡がります。

 

ショールームクラシック音楽を聴かせてもらいました。音は空間全体に行き渡り、どこにいても感じるクリアな音色。目を閉じればすぐ目の前で演奏しているような錯覚に襲われます。

 

2005年からエムズシステム主催のCDをかけるだけの「演奏家のいない演奏会」が開催されています。昨年、帝国ホテルで400回目をむかえましたが、200席が満席になったそうです。

 

エムズシステムの三浦光仁社長によると、「現代はケータイやパソコン、TVなどの人工音や機械音に溢れていています。音は空気の振動で、空間そのものであり、音の質が空間の質を決めています」と語っています。

 

また「これまでは、音の質ではなく疲れた時はヒーリングミュージックで癒されましょうという、何を聴くかに気を使ってきましたが、従来のスピーカーでは、一定方向でしか音がすすまないのでストレスになります」。

 

「波動スピーカーは、自然の音や楽器の音と同じで、生の波動を持ち、池に石が投げ込まれて波紋が広がるように真円状に音が伝わるので、どの場所にいても音に包まれるような、心地よい感覚が得られるのです」、とも言っています。

 

温度と湿度を制御するのが第一のエアコンで、埃や匂いを取り除く空気清浄機が第二のエアコンとすると、波動スピーカーは空間全体を調整しくつろぎとゆとり感を提供する第三のエアコン。

 

弊社の「くうきを創る」というコンセプトは、波動スピーカーとマッチしているということで、今回エムズシステムと事業パートナー契約を結びました。

 

 パンフレット、カタログなどご希望の方は、ぜひご連絡ください。

 

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↑5.1inchホームシアターシステムも販売

エネルギッシュな一年に

新年1日から5日まで、ベトナムホーチミン市で過ごしました。

 

ベトナムといえば記憶にあるのは幼いころの戦争のイメージ。「宣戦布告なき戦争」というこの戦争は、1955年に開戦して1975年に終結したといわれています。

 

アメリカとソ連による代理戦争イコール「資本主義」対「社会主義」、当時の報道は断片的には覚えていますが、ソンミ村虐殺事件、「枯葉材」と呼ばれる化学兵器の残虐さなどの報道には暗い気持ちになりました。

 

同じ民族がなぜ争わなければならなかったのか?

 

1月のホーチミン市は最高気温28度でしたが、乾期のせいか意外に湿気を感じません。空港から市内へバスで向かうとまず驚くのは、オートバイの大群。

 

脚立を垂直に広げて走る若者、生まれて間もない赤ちゃんを小脇にかかえる夫婦、ゲリラのようにマスクで顔を覆う勇ましいオバチャン…。サーカスの曲芸を見ているようで、帰宅時間ともなると車間ギリギリで走り、信号待ちでは数100メートルバイクが連なります。

 

街を歩くには勇気が要ります。バイクは信号機と関係なしに交差点を渡ったり歩道を横切ったり、歩行者に向かってクラッションを鳴らしたりと、気が抜けません。でも慣れてくると、車やバイクが迫ってくるタイミング合わせて道路を渡れるようになります。

 

ホーチミン市の人口は国内最多で、昨年900万人を超えました。現地ガイドによると一人一台の割合でバイクを所有しているといいます。老若男女問わず見かけますがそのほとんどがスクーター。ベトナムでは日本の4倍のバイク4500万台が走っているそうです。

 

日本と違うのは通学・通勤に利用している人のほとんどがバイクで移動するため出動率が高いこと。日本のように休日に趣味的に乗るというより、電車やバスが少ないため、文字通り足になっています。だから街のいたるところにバイクがあふれています。

 

ホーチミン市の歴史は約300年。ハノイ市の4000年に比べると短いですが、フランス領だったこともあり、中心街は混沌としています。カフェ、食堂、バイクショップが並ぶ雑居ビル、植民地時代の格式のあるホテルや教会、高島屋などショッピンモールが入っている近代的ビル、65階建て高層ビル・ビクスコ・フィナンシャル・タワー……。

 

歩いていると気づきませんでしたが、パリのように1区、2区、3区…と街が分かれていて、医者が住むエリア、公務員が住むエリア、中国人が集まっているエリアなどがあるそうです。

 

現在サイゴン川河畔では、富裕層向けの大規模な高級居住区「ヴィンホームズセントラルパーク」の開発が進んでいます。その中心には高層ビルのランドマークが建つ予定で、79階に展望フロア、オフィス、ホテル、飲食店、ショッピングモールが入居します。

 

ビクスコ・フィナンシャル・タワーの49階にある展望台からは、ホーチミン市内が360度一望できます。どこまでも拡がり途切れることのない街並み。その眺めは東京の高層ビルから眺めている景色を見ているような錯覚に襲われます。

 

戦争終結から45年。街には戦争の傷跡はほとんど見られません。道行く人たちは親切で優しい。観光ガイドいわく、「日本人は仕事好きだけど、ベトナム人は好きじゃない。でも病んで自殺する人はいません」。確かに生活に疲れた顔はない。

 

毎日バイクで喧噪のなかを走り続ける大集団を見ていると、今年もバレナで頑張ろうという気持ちがみなぎり、彼らから熱いエネルギーをもらいました。

 

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↑帰宅時間のバイク集団

 

f:id:balena91:20200108164401j:plain↑途切れることのない街並み

 

f:id:balena91:20200108165806j:plain↑ヴィンホームズセントラルパーク。総戸数10,000の巨大タウンが誕生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミッドナイト ミッション

今年もあとわずか。

 

松本市内のショッピングモールで、レストランの改装工事をしました。正式に依頼を受けたのは11月21日で、工期は11月27日、28日、29日の3日間。時間帯は、22時~翌朝8時までという条件付きでした。

 

準備期間が1週間しかない強硬スケジュールのなか、施工業者さんには無理を承知でお願いしましたが、快く引き受けていただきました。

 

ショッピングモールというと、大学時代にアルバイトをしていたころを思い出します。40数年前の出来事。バイト先は、東京都下のスーパーマーケット。高校卒業してすぐ、雑貨売り場で品出しやレジを担当しました。

 

品出しは倉庫から台車で段ボール箱を積み、売り場で品物を陳列。現在でもやり方はそれほど変わりません。異なるのはレジで、レジスターの打込は現在のタッチパネルではなく、ボタン式でおつりは暗算で渡していました。

 

私はなかったですが、社員でお客さんから数量や金額が違うと指摘されていることがありました。緊張しながらの作業は、いま思えば生産の練習に役だっていたかもしれません。一年後、婦人服売り場に異動。終日、棚から引っ張り出した衣服をたたんでいました。今でも上手にたためます。

 

印象に残っているのは、店内に置いてあったジュークボックス。女性店員がレジから売上金の小銭で、曲をかけていました。よくかかっていたのは井上陽水柳ジョージ、アリス、松田聖子小泉今日子などのアーチストの曲。時々振動で音楽がリフレーンすることがあり、アナログの時代でした。

 

仕事が終わると従業員やバイト仲間と、遊びに行きました。ボーリングを楽しんだ後、夕食はスエヒロ5やスカイラークなどのファミリーレストランで夕食。今でこそどこにでもありますが、当時は流行りだしたばかりで新鮮でした。

 

従業員専用のスペースは私のバイト時代とあまり変わっていませんでしたが、セキュリティの面ではだいぶ違います。オフィスセキュリティを導入し、常に監視しています。裏口の出入りはICカードを使用し、帰宅する場合は持ち物を赤外線で3秒間チェックします。

 

警備員にバッグの中身を見せる必要はなく、日常会話をすることもありません。

 

今回の主な工事は、店舗正面パーテーションの撤去、カウンター奥にスイングドア設置、メニュー表示パネルのマグネット塗装など。パーテーション撤去はそれほどでもないのですが、気軽にお店に入れるように、鉢植えの植栽を並べることになりました。

 

そのため撤去部分の床補修が必要になり、5㎝上がっていた土間コンクリートを幅50㎝、長さ9m斫り、カラーコンクリートでスロープを造ることに。コンクリートの養生を含めて3日間で終わらせるというミッションでした。

 

1日目の作業は約5時間。フェンスを撤去し、床にカッターを入れて3台の振動ドリルでコンクリートを砕きました。その後カット面にステンレスの見切り材を設置。片付けたコンクリートガラは30袋。埃をできるだけ出さないためにダクトを這わして送風機で外に排出しました。

 

2日目はコンクリートの乾き具合を見ながらの床仕上げ。

 

3日目は見切り部分のシーリング。建具屋に注文したスイングドアと黒板パネルの取り付け。

 

終了したのは午前3時近くでしたが、ミッションを遂行した心地よさが、冬の凍り付くような寒さを忘れさせてくれました。

 

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↑改修工事前のレストラン

 

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↑植栽を配置して気軽に入れるような雰囲気に

 

 

35年目のリベンジ。魔女宅の舞台へ

「ずいぶん使い込んでいるね」。

 

40年前、建築学科の授業で、私の製図用具を見て、担当教授が声をかけてきました。持っていたのはドイツ製ステッドラーのペンホルダー。ペン先はメッキが剥がれ、本体はヒビが入っていていました。

 

年期モノのペン。図面を熱心に描いている学生と勘違いされてはまずいと思い、「これは父のものです」と、小声で言い訳。

 

自宅で設計事務所を営む父の製図版には、研芯器や計算尺、三角スケール、コンパス、分度器など幼い子供とっては、見慣れないものが並んでいました。それを使ってトレッシングペーパーに線を引く。落書きをする。製図版は私の遊び場で、父の製図道具を勝手に学校に持っていくのは、ごく自然なこと。

 

件の教授は最初の講義のとき、「自分の授業は出なくていいから、その分建築をたくさん見て欲しい」と言い、「好きな建築はユーゴスラビアにある世界遺産ドブロヴニク」と教えてくれました。

 

26歳の時に仲間と創業した会社を一年休業して、ヨーロッパを中心に放浪の旅をしました。学生時代、講義より本物の建築を見るほうが先という教授の言い付を守り、バックパックで一人旅を楽しんでいたので、気持ちはその延長線上でした。

 

西ヨーロッパを一通り巡った後、教授の言葉を思い出して、ドブロヴニク行くことにしました。まずはユーゴスラビアの首都ベオグラード。そこで一晩泊ることにしたのですが、宿がなかなか見つかりません。

 

訪ねたホテルは照明を点けず薄暗く、どこも「FULL(いっぱい)」だといわれます。社会主義のこの国では、宿泊客を多く泊めると自分たちが忙しくなるので、なるべく泊めないようにしていると、後から現地の人に聞きました。

暗い気持ちになって、ドブロヴニクは次回にしようと、パスしてトルコに直行することにしました。

 

1990年代になると東欧に民主化の波が広がりました。その影響はユーゴスラビアも波及し、民族紛争により国は分裂崩壊。ドブロヴニクも内戦に巻き込まれ、ユーゴスラビアゴスラビア人民軍の攻撃で多くの死傷者がでました。

 

海外メディアが旧市街の爆撃を報道するたびに、「悲しい気持ちになり、もうドブロヴニクには行けない」。

 

内戦の1年前、スタジオジブリのアニメ「魔女の宅急便」が映画化されましたが、その舞台はこの街で、1992年には「紅の豚」のモデルにもなっています。

 

その後内戦は終結し、80%以上のダメージを受けたドブロヴニクは、ユネスコガイドラインにそって再建し、2005年までにはほぼ復旧しました。それを知っていずれは訪ねたいと考えていました。

 

先日、その思いが叶いました。

 

アドリア海の真珠」と呼ばれるこの街は、あまり日本では知られていませんが、欧米人には憧れのリゾート地です。その魅力はどこにあるのか? 

 

約2kmの城壁に囲まれた旧市街には、メインストリートのプラッツァ通りをはじめ、広場、市庁舎、宮殿、大聖堂、修道院、古文書館、大噴水、時計塔など、歴史が詰まった建物が並び、カフェ、レストラン、雑貨屋、土産物屋と旅行者が街歩きに欠かせない要素が揃っています。

 

石畳の裏路地、街を一望できるスルジ山、目の前の広がるアドリア海とロケーションも抜群。

 

ドブロヴニクはヨーロッパの街が持っているすべての魅力を凝縮しています。

 

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↑「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニクの家並

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↑起伏のある城壁からは旧市街が一望。おすすめの観光スポット

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↑復元された建物の壁には、爆撃にあった当時の写真を展示

未来都市となれるか湾岸エリア

20年ほど前、仕事で中国の上海へ出かけました。空港からホテルへ向かう途中、街のいたるところで建設中の高層ビルを見かけました。よく見ると、ビルを覆うのは竹で組んだ工事現場の足場。最上階まで続くその光景は、壮大で衝撃的でした。

 

その数年後、再び上海に滞在することになりましたが、「こんなところにビルが建てていたかな?」というくらい高層ビルが林立し、中国の経済発展の勢いを肌で感じました。

 

先日、築地市場の移転先、豊洲に行ってきました。周辺を歩いてみると、高層タワーマンションを中心に街が広がり、安曇野に住む私には、間近にあるビル群を見ているだけで、圧倒されてしまします。

 

ここ20数年、建築関係の展示会があると毎年のように東京ビッグサイト東京国際展示場)へ出かけましたが、「りんかい線」や「ゆりかもめ」から車窓を覗くと、未来都市建設中のような印象を受けました。

 

上海のように急激に発展している未来都市?!

 

この周辺湾岸エリアは私が20代の頃、湾岸道路のイメージしかなく、記憶にあるのは、お台場砲台跡、船の科学館(1974年~・2011年から本館展示休止)と東京港トンネル。お台場はボードセイリングを楽しむ人たちの人気スポットでした。

 

さらに遡れば、ゴミ焼却場のために埋め立てた人工島=「夢の島」。TVや新聞でも取り上げられ、子供の頃はハエが飛びまわるゴミの島と呼んでいました。

 

現在では湾岸エリア周辺のウォータフロントに、フジテレビ、ダイバーシティ東京プラザ、ヴィナースフォート、アクアシティお台場東京ジョイポリス日本未来科学館大江戸温泉物語など、さまざまな施設が揃い、食事やショッピングするにも魅力的な店がいっぱいあります。

 

2020年東京オリンピックでは選手村は晴海が舞台。その跡地は「HARUMI FLAG」という居住地区になるそうです。「東京のどまんなかに24棟・5632戸の約12,000人が暮らす街づくりを実現」がキャッチフレーズ。

 

このなかには、シニア住宅、商業や保育施設、小中学校、公園などもあり、「ALL IN TOWN」として、あらゆる世代に住みやすいユニーバーサルデザインの街を目指しています。

 

10年後、20年後、この街がどのように変貌していくのか興味が湧いてきます。

 

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↑建設中のHARUMI FULAG

 

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ららぽーと豊洲の東京クルーズ乗り場から見る夜景 

 

 

 

TVのない自然だけの素敵な過ごしかた

古民家再生がひそかなブームです。ナマコ壁を塗る左官屋さん、屋根葺きかえの修繕をする瓦店さん、建物を修復する大工さんなど、来春まで仕事がいっぱいだそうです。

 

弊社でも松本市中山で、古民家の母屋を民泊としてリノーベーションしました。天井を取り除き、梁を表して以前の吹抜けに戻し、浴槽、シャワー、トイレなどの水廻りは、機能的で清潔な部屋に変身させました。

 

丈夫そうな太い柱と梁が見えるようになると、どこか落ち着きます。

 

室内はキッチン、家具、照明器具などや薪ストーブなどお洒落にデザインされていますが、TVは置いていません。何故なら畑から採れたての食材を使ったBBQや水田の真ん中にあるコテージでの昼寝など、自然を満喫するメニューが揃い、TVなしでも日常生活を忘れさせてくれるから。

 

松本市里山辺のホテルで、最近リニューアルされた客室もTVを置かなかったそうです。SNSの影響で必要がなくなってきたこともあるかもしれません。それにかわってWi-Fiは必須条件になっています。

 

TVがない宿というと、30年前に泊まったロタ島のパウパウホテル(1999年閉鎖)を思い出します。もちろん電話もなし。ロタはグアムとサイパンの中間地点にあり、透明度の高いサンゴ礁の海は、ダイバー憧れの島として今でも知られています。

 

観光地のような買物を楽しむ土産物屋はありませんが、島民たちは素朴でフレンドリー。町を歩いていると気軽に手を上げ、声をかけると家の中まで気軽に招いてくれました。

 

パウパウホテルは、自然しかないホテルですが、プールサイドにあるバーで一日過ごしたり、小型潜水艦で海中探検したり、スタッフと天体望遠鏡で満天の星を眺めたり……、それでだけで十分普段の生活を忘れさせ、心を癒してくれました。。

 

滞在時に集まっていたお客さんは、社員旅行に女性社員とふたりだけでやって来た弁護士先生、スキューバーダイビングのインストラクターに会いに来たOL、社員を引き連れ海に潜りにきた町工場の社長など。スタッフはというと、英語がわからず日本語と身振りで受け答えする入社したての男子。小説でも書けそうなユニークな方たちばかりでした。

 

東京で広告や雑誌の仕事をし、旅行ガイドブックでロタ島取材に行った私は、飛行機の不具合でこの小さな島で、1日半足止めを食いました。

 

先日久しぶりに1990年7月16日発行のこのガイドブックを引っ張り出してみると、当時の記憶が蘇ってきました。編集後記には懐かしい旅好きのライターばかり。その一部を見ると……。

 

「神戸からやってきた弁護士の先生、チャモロ・ディナーではヤシガニどうもありがとうございます。飛行機が遅れて「30時間もかかった」とブツブツいいながらも、南の島の楽しい話をしてくれたNさん、今頃どうしているのかナ。ノリが南国チックなスタッフのIさん。今夜も宿泊客のために星を語っていますか? ボクが今回気に入ったのはロタ島のパウパウ・ホテル。ここに滞在すると誰もがナチュラルな気分になれる!

 上川 良夫

 

「ロタ島初体験の私は、手つかずの自然が残るこの島をすっかり気に入ってしまい仕事を忘れて、リゾート・ライフを満喫(もちろん、一緒に行ったスタッフも同様)。「やっぱり取材する側もリゾートしなきゃ、いい原稿は書けないもんね…」というスタッフの弁になるほど、と思いパウパウ・ホテルのプールサイドで久しぶりにのんびり。心とカラダをリフレシュしてきました。もう一度行きたい場所です。

 中山 涼

 

このペンネーム、上川さんは私、中山さんは来年結婚30周年をむかえる私の妻です。

 

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大自然のど真ん中、中山の水田コテージ

 

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↑ロタ島はグアム、サイパンのオプショナルツアーとして掲載

 

木造なのに外観はRC打ち放し⁈ リアリティーを追求する

松本市国道19号線沿いにあるビクトリアンクラフトは、英国アンティーク家具と雑貨のお店。ダイニングテーブルやチェアをはじめ、照明器具、食器、ステーショナリー、ファブリックなど、所狭しと並んでいます。

 

使古したキズや色落ちなどがあるのですが、どこか愛着が湧いてきます。

 

以前、施主様の希望で、この店で玄関ドアを購入しました。ロンドンの通りで使っていたアパートドアで、かなりの年期もの。ドアに貼られているナンバープレートやレトロなステンドグラスを見ていると、ロンドンの街並みの雰囲気を思い浮ばせます。

 

扉はホワイト、ブルー、グレーなど、住人が塗装を何度も塗り直した痕跡があり、歴史を感じます。お店ではサイズ直しや再塗装して、お気に入りの玄関ドアにリペアしてくれるので、施主様は扉を真っ赤に化粧直ししました。

 

一見派手に見えますが、取付けてみるとお洒落で道行く人の目を引きます。家の顔、これひとつで住み手の個性が窺われます。

 

ビクトリアンクラフトでは店内撮影がOK。気になるインテリアを撮ると、どのカットを見ても絵になります。アンティーク家具をひとつ置くだけで部屋の表情が変わる。勉強になります。

 

現在弊社では、白馬村で集合住宅をはじめ、貸ホテル、3連棟の貸別荘や簡易宿泊所などを建設中です。その中で施主様から外観をRC(鉄筋コンクリート造)打ち放しにしたいという要望がありました。

 

建物が木造二階建てだったので、当初は外壁に打ち放し風のサイディングを考えていましたが、デザインパターンが決まり、板状に貼り上げるので、できばえはリアリティーに欠けます。型枠に生コンを流し込んだ自然な仕上がり。

 

そこで思い出したのが、タイル屋社長のご自宅。RC打ち放しのように外壁にモルタルで型枠や型枠補強ピーコンの穴の痕をつくり、表面は本物そっくりに。通り沿いにある建物は、車を停めて「これRCじゃないの?」と見学に訪れる人もいるそうです。

 

今回、白馬の物件ではこの施工方法で挑戦しました。白馬村のみそらの別荘地に建っているので、ご興味のある方はぜひお探しください。

 

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↑建設中の木造打ち放しの家