何もしないのが安曇野流
最近、妻が月2回ほど埼玉県の実家に帰るのですが、「実家では珈琲が飲みたくなかった」と言います。
とても高い豆を使い、キッチンの水栓に高性能浄水器、水道管に磁石付きの活水器を設置した水を使用しているのに、「美味しくなかった」。
それなのに安曇野の自宅では、スーパーで購入したお得な豆で抽出した珈琲に「ああ、美味しい」と、溜め息をつきながら味わって飲んでいます。何で?
しばらくして、妻がふと気づきました。「水が違うからだ」と。
東京から安曇野に移住して20年以上経ちます。当時、春から夏に向かうこの季節、クルマで通勤するときは、窓を全開にして思いっきり深呼吸しながら走っていました。「空気が旨い」。それだけで、細胞のひとつひとつが洗われるようです。
わさび棚の湧き水で知られる水も、コップ一杯ごくごく飲むだけで、リフレッシュ。住み慣れてしまうと、北アルプス山麓・安曇野の瑞々しさをつい忘れがちになります。
軽井沢のようなお洒落なショッピングモールはないし、長野市周辺のように注目される寺社仏閣があるわけでもない。でも、安曇野の良さは何もないこと。観光地へ行くと何かしないといけないと脅迫観念に陥ることがありますが、ここでは、あえて何もしないのがオススメです。
海外のビーチリゾートでは欧米人は一日中砂浜で海を見ながら、木陰でのんびりと過ごしているのを見かけます。北アルプスの山並みを見て、終日ボーッとするのもいいのでは。
今から10年前。娘や息子が中高校生だった頃。ふたりを連れて夏真っ盛りの深夜になると、田んぼの近くの草原に大の字になって寝転びました。目的は満点に降り注ぐ星空。無数の光のシャワーを体中に浴びるような迫力。
他愛のない話をしていると、スーッと一筋の流れ星。背中に伝わる夏の熱気と山から吹き降ろす心地よい風。
そんな宇宙空間を体験できる、夏も間近です。
↑田植えが終わり、安曇野はこれからがいい季節