地球に寄りそうサスティナブル住宅

スクラップ&ビルドをくり返す現代住宅はもう卒業。バレナは次世代に引き継ぐ本物の家造りを提案します。

エネルギッシュな一年に

新年1日から5日まで、ベトナムホーチミン市で過ごしました。

 

ベトナムといえば記憶にあるのは幼いころの戦争のイメージ。「宣戦布告なき戦争」というこの戦争は、1955年に開戦して1975年に終結したといわれています。

 

アメリカとソ連による代理戦争イコール「資本主義」対「社会主義」、当時の報道は断片的には覚えていますが、ソンミ村虐殺事件、「枯葉材」と呼ばれる化学兵器の残虐さなどの報道には暗い気持ちになりました。

 

同じ民族がなぜ争わなければならなかったのか?

 

1月のホーチミン市は最高気温28度でしたが、乾期のせいか意外に湿気を感じません。空港から市内へバスで向かうとまず驚くのは、オートバイの大群。

 

脚立を垂直に広げて走る若者、生まれて間もない赤ちゃんを小脇にかかえる夫婦、ゲリラのようにマスクで顔を覆う勇ましいオバチャン…。サーカスの曲芸を見ているようで、帰宅時間ともなると車間ギリギリで走り、信号待ちでは数100メートルバイクが連なります。

 

街を歩くには勇気が要ります。バイクは信号機と関係なしに交差点を渡ったり歩道を横切ったり、歩行者に向かってクラッションを鳴らしたりと、気が抜けません。でも慣れてくると、車やバイクが迫ってくるタイミング合わせて道路を渡れるようになります。

 

ホーチミン市の人口は国内最多で、昨年900万人を超えました。現地ガイドによると一人一台の割合でバイクを所有しているといいます。老若男女問わず見かけますがそのほとんどがスクーター。ベトナムでは日本の4倍のバイク4500万台が走っているそうです。

 

日本と違うのは通学・通勤に利用している人のほとんどがバイクで移動するため出動率が高いこと。日本のように休日に趣味的に乗るというより、電車やバスが少ないため、文字通り足になっています。だから街のいたるところにバイクがあふれています。

 

ホーチミン市の歴史は約300年。ハノイ市の4000年に比べると短いですが、フランス領だったこともあり、中心街は混沌としています。カフェ、食堂、バイクショップが並ぶ雑居ビル、植民地時代の格式のあるホテルや教会、高島屋などショッピンモールが入っている近代的ビル、65階建て高層ビル・ビクスコ・フィナンシャル・タワー……。

 

歩いていると気づきませんでしたが、パリのように1区、2区、3区…と街が分かれていて、医者が住むエリア、公務員が住むエリア、中国人が集まっているエリアなどがあるそうです。

 

現在サイゴン川河畔では、富裕層向けの大規模な高級居住区「ヴィンホームズセントラルパーク」の開発が進んでいます。その中心には高層ビルのランドマークが建つ予定で、79階に展望フロア、オフィス、ホテル、飲食店、ショッピングモールが入居します。

 

ビクスコ・フィナンシャル・タワーの49階にある展望台からは、ホーチミン市内が360度一望できます。どこまでも拡がり途切れることのない街並み。その眺めは東京の高層ビルから眺めている景色を見ているような錯覚に襲われます。

 

戦争終結から45年。街には戦争の傷跡はほとんど見られません。道行く人たちは親切で優しい。観光ガイドいわく、「日本人は仕事好きだけど、ベトナム人は好きじゃない。でも病んで自殺する人はいません」。確かに生活に疲れた顔はない。

 

毎日バイクで喧噪のなかを走り続ける大集団を見ていると、今年もバレナで頑張ろうという気持ちがみなぎり、彼らから熱いエネルギーをもらいました。

 

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↑帰宅時間のバイク集団

 

f:id:balena91:20200108164401j:plain↑途切れることのない街並み

 

f:id:balena91:20200108165806j:plain↑ヴィンホームズセントラルパーク。総戸数10,000の巨大タウンが誕生